訃報
友人から、お世話になった卜部教授が亡くなったと連絡があった。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110503/dst11050300560002-n1.htm
まだ雪が残る槍ケ岳の山頂付近で
発見されたそうです。
とても残念です。
雪山の頂上からの眺めは、荘厳、雄大でとても美しい。
しかし、それ以上に、雪山は恐ろしい。。。
震災で落とす命も、
雪山で落とす命も、
テロリストが憎しみの連鎖の果てに落とす命も
人生において等しく平等だろう。
水槽や池の魚を見るように、人間活動の外にある存在にとっては、
利害が絡まなければ、
このような結論になると思われる。
しかし、わたしたちは超越した存在ではなく、ただの日本人であるから
誰かが命は平等といっても、どこかひっかかり、何かもやもやするかもしれない。
命は本当に平等なのだろうか?
次の言葉が、答えへのきっかけになるかもしれない。
◆何によって人に憶えられたいか
私が13歳のとき、宗教の先生が生徒1人ひとりに、
「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。
先生は笑いながらこう言った。
「いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって
答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね。」
ドラッカー「非営利組織の経営」(p.219)より引用。