来年の大河ドラマは「風林火山」ですねぇ

先日は、唐沢氏についていろいろとネットを調べてみたのですが
もっとくわしい説明があったので、唐沢について知りたい誰かのために、メモを残しておきます。


http://www2.harimaya.com/sengoku/html/iwa_saito.html
初代唐沢氏の親、富沢但馬基幸の名前が下の方で確認できます。
名前を付けてくれた、大野氏を滅ぼした斉藤憲広は、斉藤憲行を共通の祖先にもつ
ようで・・・いやはや戦国の世の容赦のない骨肉の争いをひしひしとカンジます。
んで、更に面白いことにリンクの文章がいうように斉藤憲行には同姓同名の人がいたようで、
まず先にいたのが、藤原氏の末裔である吾妻氏の子孫の斉藤憲行で、いつの時代にどうやってか、
新潟から上杉方の影響下にあった(新)斉藤憲行にすり替わっていたようなのです。
ジョジョじゃないけど、妙な出来事があったのですねぃ。
そして入れ替わった斉藤憲行の跡には、嘘八百家系図が、吾妻の民間伝承に残っていったのです。
入れ替わったのがいつかは不明ですけど、「1416年上杉禅秀の乱」のときには、もう別の人だったようですねぃ。


んで、仮説を1つ見出しました。
先日日記で書いた嶽山城の戦いですけど、真田軍との戦いにおいて、人質交換にて
講和をしようとしたようだ・・・ということが歴史の資料から読み取れます。
嶽山城にこもった斉藤氏側は、重臣の池田佐渡守を
真田側は、はたして人質交換で誰を・・・?
前にも紹介した以下のリンクの人、初代唐沢氏の唐沢杢之助だったのでは?いや妄想ですけど。
http://www.town.nakanojo.gunma.jp/~nakanojo-times/200512/07mini.html
戦国時代って、みんな必死で生きていたのですねぃ・・・と、真田氏もそうですけど、
思ったわけです。


もう1つリンクを。唐沢氏の子孫さんがこんなのを残しています。
http://www.lcv.ne.jp/~seckay/karasawa/research/karasawajyounendaiki.htm
世の中の唐沢さんは、唐沢杢之助を祖にもつのではなく、いろいろな場所で唐沢姓が
発生したのかもしれませんね。それにしても子供がもうできないだろうから、富沢じゃなくて
唐沢だろ、なんて付けた斉藤憲行が、裏切られてしまうのも納得が・・・w